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網走の戦争を知る

こんにちは。北見地区ユキですhappy01

平和月間の取り組みでオホーツク管内のメンバー・組合員さんに戦跡について語り継ぎをするため、7月4日に北見地区の地区活動委員全員で網走の戦跡を巡ってきました。

ユキは網走出身で地元なのですが、恥ずかしながら戦跡を見たことはあったんですが、それらについて深く考えることなく過ごしてきました。

今回巡ることで本当に戦争ってあったんだ・・・という実感が湧きました。

いまは小さくて理解できないでしょうが、自分の子供たちにも実際に見せて戦争という醜い争いがあったんだということをユキ自身でも語り継ごうと思いました。

今回は4カ所の戦跡を巡りました。



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まずは鱒浦トーチカ跡へむかいました。

トーチカとはコンクリートで固めた小型の堅固な防備陣地のことです。
ここは太平洋戦争末期(1944)オホーツク海岸へのアメリカ軍の上陸に備えて作られた、厚さ50㎝のコンクリートに囲まれた地下2階建てのトーチカです。

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いまは原生牧場という施設の敷地内にあります。
この小屋から地下へと続く階段があり中を見ることができます(※特別に見学させてもらえましたが現在は立ち入り禁止です)

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現在は崩れてしまって見えないんですが、地下には海が見えるように窓があったそうです。

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つぎに浜藻琴トーチカ跡に向かいました。

ここは監視台だったようで監視口は藻琴市街と海側にありました。
無筋コンクリート2層構造で、1階は銃座・2階は観測所になっています。

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戦跡として残そうとしている感じではなく、海沿いにただポツンとありました。
なぜここは残そうとされないのかな・・・

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これはポンモイ柱状節理

戦時中の空港建設のための石切り場だった所です。
当時は過酷な砕石作業が行われていたそうです。

空港は現在の女満別空港のそばのレンタカー店の裏側にあるそうですが、現在は立ち入り禁止だったため見ることができませんでした。

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最後に網走小学校近くの防空壕跡にむかいました。

ユキが子供のころはこんなに立派な碑はなくて、ほんとに防空壕がそのままあった記憶があります。(もちろん中には入れませんでしたがsweat02)

いまはこんな風になってしまってました。

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この日巡った戦跡の報告会を

8月8日(水)11:30~遠軽プラザ店2階にて行います。

テーマは平和を語り継ぐ~網走戦跡調べ報告会~

戦争があったのはたった70年ほど前です。
ユキの感覚ではたった70年・・・

ユキの祖父は戦争を経験して、樺太で捕虜になっていたんです。
戦争がトラウマとなっているみたいで、毎晩大きな声で戦争しているかのような寝言を言っています。
ユキも実際寝言を聞いたことがあるんですが、ほんとに戦場でのセリフなんですよね。
TVでも祖父と同じような方がいるのを見たことがあります。

戦争って当事者にとっては終わってないんだなって思います。

また戦争という醜い争いが起こらないためにも、語り継ぐことはとても大切だと思います。

みなさんはどう感じましたか?






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