生活協同組合コープさっぽろで、安心生活はじめましょう。

ホーム > トドック > | 働くかかし。 > | 平取トマト > | 農業賞 > 生協の産直品”ニシパの恋人”平取トマト 第20話 トマト栽培の先駆者たち

生協の産直品”ニシパの恋人”平取トマト 第20話 トマト栽培の先駆者たち

「量は力なり、質は信用なり、良質に過剰なし、これが市場原理」

JA平取町前代表理事の楠木初男組合長、初代(平取町野菜生産振興会)
トマト・胡瓜部会 部会長の仲山浩(現JA平取町代表理事組合長)さんら
、農協職員、生産者はこの言葉を胸に質の良いトマトの大産地化に
まい進しました。

こんにちは。 かかしひろとです。


ここらで、少し折り目を正して、平取町を北海道一のトマト産地に
作り上げた挑戦者達のお話をひとつ。

時は昭和44年、米の生産過剰により、国の減反政策がはじまりました。
その頃平取町は1800ha前後の米の作付けが行われていました。当時の
農協組合長・楠木初男さんは、平取町の水田農家は、一戸あたりの
耕作面積が比較的少なく、零細であったことから、転作して利益を生む
作物を模索しました。
Img_657872_9846568_0_thumb
その結果、平取町の冷涼な気候と沙流川流域の土質を十分に活かせる
作物は、トマトなのだと確信し、最初は6戸の農家が栽培を始めました。

楠木前組合長は「当時の道内でのトマト栽培先進地○○・○○には何度も
足を運んで勉強してきましたよ」と私に語ってくれたことがあります。

時代はちょうど露地栽培からハウス栽培に劇的に移行していく
時期だったんです。

Img_231951_11193323_3_thumb

新しい試みをスタートさせた楠木組合長は「量は力なり、質は信用なり、
良質に過剰なし、これが市場原理」と市場関係者に教わり、トマト生産者
はこの言葉を胸に、トマト作りの仲間を増やし、多額の施設投資を
していきました。でも内心は「失敗でもしたら」と
危機感は常に感じていたそうです。
Img_231936_5729184_2_thumb

昭和57年に選果機の導入をはかったことで、
栽培面積の拡大が進みました。


昭和61年にはそれまでのトマトの概念が変るほどの
、果物のように甘い
「桃太郎」種が開発されました。

Img_458066_13849849_3


その翌年から平取では全面的に「桃太郎」を作付け。
早い時期から遅くまで
栽培できる「桃太郎」は長期出荷の足がかりになりました。

そして、本州への出荷がはじまったのもこのころです。
今では平取のトマトが本州でも普通に販売されていますが、
当時北海道から果菜類が関東近畿の市場に送るなんて、
考えられない時代。トマトが長時間の輸送に耐え切れず、
ボテボテになり、府県産のものとは比較にならず、
大変な苦労があったそうです。

本州でも売れるトマトの出荷対策として、平成8年、選果後
トマトを冷やして鮮度を保つ、予冷施設を道と町の援助を受け新設。
長時間の輸送にも耐えられる品質となりました。

昭和50年代の初めには北海道の家計消費支出
では一番が胡瓜でした。しかし胡瓜はその後首位
の座を明け渡してしまいました。


王座に立ったのはトマトでした。
①食味の良い品種開発
②露地からハウスへの転換での安定生産
③全国の産地リレー体制の確立
④共同選果による合理化
⑤収穫と予冷輸送技術の進歩
 背景として洋風化が進む食の変化がありました。


現在のトドックでは年間ではもちろんトップですし
当分トマトに迫る勢いの野菜はありません。
トマト系の商品全体が常に革新を繰り返しているから
でしょうね。



次回は、トマトの大産地としての責任を負った
平取町の取り組みをお送りします。

*このブログに使用している写真等はJA平取町、
および平取町野菜生産振興会トマト・胡瓜部会の
糸屋新一郎 部会長の協力を得て作成しています。

http://www.nishipa.or.jp/
http://blogs.yahoo.co.jp/itoya209/

ホーム > トドック > | 働くかかし。 > | 平取トマト > | 農業賞 > 生協の産直品”ニシパの恋人”平取トマト 第20話 トマト栽培の先駆者たち

ブログ内検索
お気に入り・フィード購読
個別バナー
ページ一覧
QRコード
携帯でもかかし日記
http://blog.todock.com/mt4i/kakashi/
HELPバナー
共通バナー
Google アドセンス

ページの上部へ