「平取のトマト栽培の歩み」
こんにちは。かかしひろとです。
人に歴史あり。平取トマトにも歴史あり。ローマは一日にして成らず。
平取トマトも一日にして成らずなのであります。
今回は、今日平取トマトがいかにしてトマト生産量道内第1位までの
大生産地となったか、その歴史についてです。
平取でのトマト栽培の歴史は、
昭和46年、6戸の生産農家から始まります。
当時の減反政策による大幅な減反割り当てから、
より収益性の高い野菜栽培を目指したのです。
おや?「減反って何?」という声が聞こえてきましたよ。
戦後、食糧管理法という法律で、
米(こめ)は政府が全量固定価格で買い上げることになっていました。
ですから、当時の農家さんはこぞって生産に取り組んでいたんです。
でも、生産量程米の消費が伸びず、
政府は大量の米の在庫を抱えてしまいました。
これがいわゆる「米余り」。
そこで政府は、「お金あげるから、米じゃないもの作ってくれない?
田んぼを他の作物の転作地にしてね」と減反政策を行いました。
減反の「反」は、田圃や畑の広さを表す単位で、
減反とは、田んぼの反を減らす、
すなわち田んぼの耕作地を減らすという意味です。
「あ、そういえば社会科でやったわ!」という声が聞こえてきました。
そうです、トマトを勉強すると社会科の復習にもなりますね。
こう書くとそういう授業を私が受けたように思われますかね。。。。。。
ここは年齢詐称のおそれがありますので、
私が高校を卒業するかしないかの時期に
減反政策が始まったとしておきましょう。
生産者にとっては大変理不尽な話なのですが、
米が作れなくなった平取の生産者さん達は、
生き残りをこのトマト栽培にかけたのです。
それから、序々に平取の田んぼはトマトのビニールハウスに代わり、
今では166戸の生産者さんがトマト栽培をしています。
そして生産者さん達の大変な努力や、町の取り組みの強化などで、
年々生産量はうなぎのぼりに増加していきました。
昭和62年には、
完熟型品種「桃太郎」を導入し「ニシパの恋人」というブランド名に。
平成7年に第二回ホクレン夢大賞を受賞し、
平成12年には、北の大地の安心ラベル「YES! clean」の認証を取得。
平成13年第30回日本農業賞大賞を受賞。
そして今年、平成19年、コープさっぽろの産直産地認定となりました。
何度も平取を訪問していますが、
ここまでの歩みの中で、
一言ではいえない苦難を乗り越えてきたとお聞きしています。
平取が桃太郎トマトと共に栄えていくという、
生産者さんたちの熱い情熱が、この地を支え、
トマトの味も品質も高めていったのでしょうね。
いや~感慨深い・・・。
次回はトマト栽培の適地について
*このブログに使用している写真等はJA平取町、および
平取町野菜生産振興会トマト・胡瓜部会の糸屋新一郎部会長
の協力を得て作成しています。
http://www.nishipa.or.jp/
http://blogs.yahoo.co.jp/itoya209/
http://www.hokuren.or.jp/yume/win/no2nt1.html
http://www.agri-clean.gr.jp/yesclean/
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